投影


綺麗なものが嫌いだと微笑むこの人の傍にいるようになって、もう随分経つ。

「少佐、紅茶入りましたよ」
「ありがとう。ルイも座りなよ」
「いえ、俺はまだやる事が……」
「折角の君の紅茶を一人で貰うなんて寂しいんだけどな」

大抵の場合、微笑とは儚さや切なさを孕む柔らかいものが多いと俺は思う。
けれどこの人――アベル・カウフマン少佐の場合は違う。
少佐の微笑を表すものは、言うなれば強制力。

「……用意してきます」
「ふふ……素直だね、相変わらず」

軽くなったシルバーのトレーを脇に挟み、早くおいで、なんて呑気に微笑む少佐に背を向ける。

この部隊に入隊してからというもの、周囲とは常に当たり障りのない人間関係を築いてきたつもりだ。波風を立てる事無く、隊規を犯す事無く…いつの間にか副隊長の職を任されていた事が、その努力の結果だと自負している。

けれどどうしても苦手意識が取り払えない人物がいる。
他の隊員達はこぞって彼を羨望の眼差しで――それこそ神を見るような目で見ている信者すらいるほど――慕っているけれど、その彼に隣に並び立つ権限を持っている俺は、どうしても――……。

簡易給湯室のような場所で、おかわり用にと温めていたティーカップへ余分に作った紅茶を注ぎ、溜まっていく濃い赤茶の液体を静かに見下ろす。

――苦手意識が消えないのは、きっと、あの人の自然な表情を見たことが無いからだ。

どれだけ近くにいることを許されていても、あの人が見せる表情や感情表現全てが、俺には一種のパフォーマンスのように見える。
常に柔らかい笑顔を貼り付けているあの人が声を荒げたり、必死で何かを守ろうとしたり…そういうものを未だかつて一度も見た事が無いんだ。

八分目まで紅茶を注いだティーカップを、トレーには乗せずそのまま運ぶ。
数分もしないうちに戻ったそこには、ソファに腰掛け長い足を組み、おかえりと笑う少佐の姿があった。

「ねえルイ、飲み終わったら少し散歩しようよ」
「まだやる事が残ってると言ったじゃないですか。それに、貴方と二人きりでなんてまたヨハンさんに睨まれます」
「気のせいだよ。あの子は僕の行動に目くじらを立てたりなんてしないよ?」
「少佐には、です。全て他に向くっていうことをいい加減理解してください」
「ふふ…今日は随分噛み付くね。何か嫌なことでもあったのかい」

向かい側に俺が座ると、それを待っていたかのようにカップを手にして静かに口に含んでいた。
美味しい、と目元を緩める少佐から目を逸らし、俺も今し方用意した自分のカップを傾ける。

「ルイが僕に冷たい時は大抵、何かあった時だって知ってるんだよ?」
「……、そんな事ありません」
「素直じゃないなぁ。また誰かに小言でも言われたのかい」
「先程素直だと言ってくれたのは俺の聞き間違いでしたか?」

ほら、不機嫌じゃないか。
そう可笑しそうに小さく笑い、おもむろにシュガーポットの蓋を開けた。

普段はストレートを好むのに珍しい……。
意外な行動に少し驚いていると、摘んだ角砂糖を何も言わず、ぽとん、ぽとん、と自分のではなく俺のカップに落としていく。

「え……少佐、」
「気が立っている時は甘いものだよ、ルイ。目一杯甘くしておいてあげるよ」
「結構です……! ああもう、四つも入れてどうするんですか! 飲めなくなります!」

更に五つめを投入しようとしていた手を掴み、素早く角砂糖を取り上げる。
ほっと胸を撫で下ろしながらシュガーポットへ落とし、掴んだ手首を解放しようとしたけれど、放すより早く逆の手が俺の手首を掴んだ。

「……なんですか」
「僕には話せないことなのかい?」
「そういうわけじゃ……少佐、痛いですから放してください」
「冷たいね、ルイ」

僕にだけ。
そう追加された台詞に肩が跳ねた。
言葉とは真逆に、少佐の目や表情は変わらず穏やかで、その柔らかなグリーン・アイに緩やかに首を絞められていくような錯覚すら覚える。

数秒か数時間か曖昧になってしまう時間、そうして少佐と目を合わせたままお互い口は開かなかった。
錯覚とは思えないほどの息苦しさを感じるようになった頃、漸く手首から手が離れ、同時に視線も外れた。

「……あ。見てみなよルイ……雪が降ってきた」
「……、そうですね」
「積もるかな……嫌だね、早々に溶けてしまえばいいのに」
「……そうですね」

――俺は、このアベル・カウフマンという男が苦手だ。

「せっかく君と散歩に行けるかと思ったのにな……」
「……そうですね」

苦手意識をも溶かしてしまうような…息苦しさを感じるほど穏やかな声音も、何を考えているのかが読めないグリーン・アイも、雪の光を反射する金糸の髪も。

「今日はゆっくりお茶でもしようか?」
「仕事をしてください」

手厳しいと微笑む少佐から目を逸らし、カップを傾けた。
じゃり、と音が鳴るのと、口の中に甘ったるい液体が流れてきたのは同時。
眉をしかめすぐさまカップから口を放し中を覗けば、まだ溶けていない角砂糖がカップの底にゴロゴロ転がっていた。

中途半端に溶けているそれは、まるで俺のようで。

「……俺は、貴方が苦手なんです」
「ふふ……知っているよ」

驚きもしないで返された返事と、口の中に残る砂糖の甘みを噛みしめ、飲み込んだ。

窓の外で、しんしんと雪が舞い落ちていく。
少佐の嫌いな雪が、静かに、静かに。


投影
“虚勢も本音も見透かされる”


だいぶ前に勢いで書いた話。