【深夜の紅天わんどろおかわり】秘密


 とある日の昼下がり。
 腹ごなしの散歩に出た俺の左右には弧白と雷王。一人で行くつもりだったのに……とはもう言わない。無駄だからだ。 何をどう言ったところでこいつらは付いてくるに決まっている。
 下駄を鳴らしながら空を見上げた。真っ青な空に真っ白な雲。思わず頬が緩んだ。

「いい天気だなあ」
「そうだねえ。そこの赤いのが辛気臭い顔をしていなければ、もっと気分もいいのだけどね」
「どういう意味だ、弧白」
「言葉のままさね」
「そーこーまーで。往来でやめろよなあ……って、お……、あれ」

 不意に目に留まったものに足が止まる。つられるように従属二人の声もぴたりと止み、俺の視線を追った。

「あそこって嘉祥の屋敷だよな」
「ああ」
「そうだね。さ、藍丸。此処は空気が悪い。向こうの川べりにでも足を伸ばさないかい」

 流れるような仕種で弧白に肩を抱かれるも、何となくの好奇心の虫が騒ぎ、無理矢理足を屋敷方向へ向ける。弧白の溜息はそんな俺へか、はたまた肩に掛かる腕をはたいた雷王へのものかは判らない。
 あまり気乗りしていなさそうな二人を連れ、屋敷の外側からこっそり中を覗いた。先ず見えたのは庭。此処は建物の裏手側らしく、見えたのは裏庭だった。大店の屋敷だけあり、其処は広く、且つ丁寧に整えられている。一角に淑やかに咲く菖蒲や松の大木がなんとも粋だ。

「すげえなあ。うちも庭があればなあ……」
「内装なら家哭に頼めばどうにでもなるが、庭となると……」
「本当にお前は気が利かないね。藍丸だってそんなことはわかっているさ」
「ならばどう答えろと言うのだ」
「簡単さ。そんなもの……」
「ごちゃごちゃうるせえ。気付かれるだろうが」

 左右の二人の脇腹へ肘鉄を一発ずつくれてやり、口元に人差し指を立てる。顔色を悪くさせながら二人はこくこくと頷いた。よし。
 静かになったところで再び裏庭を覗き込むと、長い渡り廊下の先に見覚えのある顔を見つけた。

「襲か。元気そうだな」
「……私らはそうでもないけどね」
「なんか言ったか弧白。……お、なんだあれ。着物……か? 綺麗だな、あの色」

 だんだんと此方へ近付く襲の手元には、折り畳まれた深緑の着物があった。襲が運んでいるということは嘉祥のものだろうか。

「……とすると、嘉祥の部屋はこっちのほうなのか……?」

 興味本位で襲の進行方向へ目を向ける。俺がそうするのを待ち構えていたように、左最奥の障子がすらりと開いた。姿を見せたのは、今の今名を出したこの屋敷の主。江戸の羽織役が一、大妖の嘉祥だ。

 丁度角を曲がった襲も嘉祥に気付き、恭しく頭を下げる。何か言葉を交わしているのはわかるけれど、会話まではさすがに聞き取れない。ただ、和やかなことは雰囲気で察した。

「へえ……嘉祥でもあんな顔するんだな。なんか意外だ」
「おや。あんないけ好かない妖が気になるのかい?」
「そうじゃねえよ。なんつうか、ああいう顔、俺らには見せねえだろ? 襲しかいねえとああなんだなあ……って」

 ひそひそと会話する此方側に、屋敷内の二人が気付く気配はない。その間も嘉祥の雰囲気は変化無く、終始和やかな二人の姿を三人でこっそりと眺め続けた。
 それから暫くして、その場に襲を残し、嘉祥は庭へ下りた。

「やべ、ばれた!」

 咄嗟に俺達は身を屈める。壁に背をつけ息を飲んだ。じゃり、じゃり……と足音が近付き、悪さをしたわけでもないのに身体が強張る。ちらりと右手を見れば、背後の裏庭へ意識を集中させている雷王が、左手を見れば、つまらなそうに向かいの通りを眺めている弧白が。こんな時にもこの二人は噛み合わない。

 ふと、近付くばかりだった足音が止まった。それだけじゃない。足音の代わりに、嘉祥ひとり分の声。誰かと会話しているような……けれど相手は襲ではなさそうだ。
 またもや興味の虫を刺激され、好奇心のままにそろそろと振り向き、気付かれないようこっそりと覗く。と。

「こら。そのようにがっつくな。餌はまだある」

(……ん?)

 嘉祥は背中を向けていた。此処から見る限り相手の姿はどこにも見当たらない。しかし穏やかで柔らかい口調は確かに誰か≠ヨ向けられたものだ。
 首を傾げつつ、腰を少し上げた。そうして飛び込んで来た光景は、予想の遥か斜め上をいっていた。

「お妙。今日は随分艶がよいな。何か良い事でもあったか」
「弥吉。そう急くな。皆の分まで喰らってはならぬ」
「お絹、田吾作。やんちゃは構わぬが菖蒲は潰すなよ。襲が泣くぞ」

「……………………」

 穏やかに笑む羽織役を前に、俺達は一様に言葉を失う。

「…………なんだあれ」
「……なんだろうねえ」
「…………」
「せめて何か言え雷王」
「……すまない」

 目が点、とはこのことだ。
 俺達の視線の先には、笑みを絶やさない大妖。その笑みが向けられていたのは、黒い影。触手のようにうねる無数の影だった。

 俺達は言葉を失ったまま、くるりと踵を返した。早足より僅かに早く歩き、屋敷が遠くなったところで、三人ぴったり同時に振り返る。

「……見なかったことにするか」
「……そうだね」
「……そうだな」

 この時ばかりは、普段ぶつかってばかりの二人も声を揃えた。静かに頷き合った俺達は、それから散歩を続行させることなく、無言のまま帰路に着いた。

 何故か酷く、我が家が恋しかった。



ノリと諸事情による紅天わんどろおかわり分でした。
すみませんでした!楽しかったです(笑)