声
格子から射す陽光が眩しい。
柔らかく揺れるカァテンが頬を掠めた。一瞥すれば、解けたタッセルが虚しくぶら下がっている。
射し込む陽に誘われるように瞼が重くなっていく。
全体合議まではあといくらかある筈だ。束の間の転寝なら許されるかもしれない。
考えた傍から気が緩んでいく。
日々張り詰めた生活を送っている為か、この瞬間ばかりは安堵の溜息を抑えられない。
「――……」
何拍もかけ息を吐き出すと、次第に肩の力も抜けていった。重みを増した瞼は更に下がり、普段は何てことのない片掛けの外套が邪魔な鎧と化す。
腕一本動かすのも億劫だ。あやふやになっていく意識の中で一人ごち、重い鎧をずるりと足元へ落とした。
重厚な絨毯に暗色の外套が横たわる。
こんなことをしては、元の持ち主から小言を戴くかもしれない――眉を顰める様を想像し、声を出さず笑った。
「貴方ならきっと、こんなことはしないのでしょうね」
独り言は誰に拾われることもなく、陽光の筋と共に消えていく。
虚しさは無い。そんな感情はとうに抱かなくなった。
独り言にも慣れた。
問いに返される答はなくとも、それでよかった。
他の誰の答も違う。私が欲しい答はただ一人しか持っていないのだから。
左腕を撫でる。そこに答を求めるように。
既に違和感など欠片も無い継ぎ目に触れれば、心に柔らかな何かが拡がっていく。
あたたかさなのか侘しさなのかは定かではないけれど。
(逢いたい……気が、する)
厚い布を撫でつけながらふと思う。
普段なら考えないようなことなのにどうしてだろう。微睡んでいる所為だろうか。どうにも思考に枷が掛からない。
「伊織……ねえ、伊織――」
夢と現の狭間で呼びかける。
継ぎ目が脈打った。何だと、そんなに呼ばずとも聞こえていると……そう答える声が鼓膜の奥の奥にこだまする。
余韻を残し消えた声。
そうしてまた響く。京一郎と、その声は囁く。
呼吸がし易くなった。
薄く開いていた視界をすうっと閉ざし、淡い幻聴に耳を傾ける。
――京一郎。
「何ですか……?」
――京一郎。
「名だけではわかりません……」
――京一郎。
「そんなに呼ばずとも、聞こえて――」
聞こえている。
そう返そうとした喉がぴたりと震えを止めた。
閉じたばかりの瞼を開く。真っ先に映ったものは、継ぎ目を撫でる己の右手。
急速に舞い戻ってきた現実は甘くも何ともない。
幻聴はただの幻聴にすぎず、今は継ぎ目も存在せず、そこに触れるものも私自身の指先。
――誰の答も不要だった。
私が欲する答を持つ者はこの世でただ一人で、それ以外の答など必要としていなかった。
けれどこれではまるで。まるで。
「……そうか……そうだな……千家は、私か……」
確かな諦念を抱きながら薄く笑み、再び瞼を下ろした。
問いかけへの答が返されることは決してない。
記憶を追い答を予想したところで、その答は私自身が望んだもの。ただ己が千家の形を取っただけのものなのだ。
これ以上に虚しいことなどあるだろうか。
幻聴に浸り、そのまま眠ればよかった。気付きたくなどなかった。
右手を元へ戻し、違和の無い左腕を伸ばす。
ぎしり、椅子が軋んだ。
指先に触れた布を拾い上げ、また肩へと落とす。
慣れた重みが両肩に沈んだ時、軍式のノックが鳴り響いた。
「千家様。時間です」
「……ああ。今行く」
扉の向こうへ静かに返し、腰を上げた。
広い机を回り込み、天井へ届くほどの書棚の脇を抜ける。
施錠された扉の前で足を止め、ふと振り返った。
「……」
閉め忘れた窓から、風。
カァテンが揺れる。穏やかな風が長く伸ばした黒髪を撫でる。
「……いってきます、伊織」
呟きを残し、前を向く。
懐古の念も甘さもすべて此処に。彼が遺した此処に、すべて置いていく。
扉を開き、千家京一郎として、一歩踏み出した。
閉める直前再び吹き込んだ風に、背をやさしく押されたような気がした。
千家京一郎さん小ネタA
暁ちゃんへ送り付けるためだけのネタです。ツッコミは勘弁してやってください()