for the first time −序章−
※珪架様とのリレー小説です
※寛大な心でさらっと流し読んでやってください。かなりのあれで、身内ネタです。
【ゆん】
坊ちゃまは幸せだったと――そう泣き崩れた老執事の背中が痛すぎて、私は手を貸す事も、その場を動くことも出来ずにいた。
あれから数ヵ月。
大学が始まった私は、麹町区のあの館へ赴くこともなく、ただ時間だけを浪費するような生活を送っていた。
剣道部への勧誘も断った。剣を取れば、それがたとえ竹刀であれ、あの激動の日々を思い出してしまう気がした。
【珪架】
それから1つ、季節が流れた頃。
大黒屋でいつものように煎餅を買おうとして、ふとまた思い出していつもより1枚多く買った。
別に何もない……
何も思わない……考えない……
なのに、気付けば足が勝手に向かっていた。
あの、館へ。
今だ自分を捕らえたままの、あの時間が詰まった場所へ。
「いらっしゃいませ、柊さま」
変わらない笑顔が迎えてくれるここは、けれどとても静かに佇んでいた。
【ゆん】
靴箱も、その上にある立派な花瓶も、置物も古時計も手摺の艶にさえ変化が見られない。何一つとして変わらない母屋を見回し、ふと前を見る。
そこには、やはり変わらない笑み。懐かしいと感じるより先に、不気味に映った。
何も変わらない。何一つ、あの頃の――この家の主が生きていた頃のまま、時が止まっている。
(……止めているのですね、じいやさん……)
穏やかな視線を受けながら、詰まる言葉を静かに飲み込んだ。
案内された居間も、あの頃のままだった。
けれどもう何も思わない。思うことはやめた。懐かしいと口にすることさえ、きっとこの執事は赦してはくれないだろう。
じいやさんの中で、あの方はまだ生きている。この館と共に、生きているのだ。
【珪架】
執事とは全ての使用人を束ねる使用人頭。そんな人物に限って現実から目を逸らしていることはないだろう。
じいやさんは分かっている。分かった上で共に生きているんだ、この館に残る思い出と。
「お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
お茶受けは綺麗に焼いたマドレェヌ。
これも変わらないですね、じいやさん……。
手元にある紙袋がカサリと音をたてた。
「じいやさん、これを」
「大黒屋、お煎餅ですかな?」
「はい、じいやさんに」
内緒で食べましょう? と差し出して。
【ゆん】
手に取ってくれるか否かを私は密かに賭けていた。
受け取ってくれたなら、この茶番に付き合おう。
遠慮されたなら、理由を取り繕い湯島へ戻ろう――。
お互いの間にある紙袋がしゃり、と鳴る。私はじいやさんの表情変化を見逃さぬよう、やけに澄んだ瞳を一心に見つめていた。
一秒にも数分にも思える間を置き、じいやさんの瞼がそっと伏せられる。
「……いただきましょう」
少し……ほんの少しだけ、声に寂しさが滲んでいたようだった。
差し出した袋が私の右手を離れていく。じいやさんはそれ以上何も言わない。一礼し、そのまま部屋を出て行った。
私は酷なことをしてしまったのだろうか。
あの人はきっと、主の思い出を共有したかったのだ。だからこそ、私の突然の訪問を受け入れた。
そうでなければおそらく……あの人は、この館への立入りを赦さないような気がした。
磨き抜かれたテェブルに乗るマドレエヌの甘い香り。
以前は食指を動かされたその香りが、今は何故か、少しだけ疎ましく思えた。
【珪架】
「お待たせ致しました」
戻って来たじいやさんの手には湯気の立つ煎茶が2つ。
そして煎餅が乗せられた白磁の皿。
「……あ」
思わず声が出た。テェブルにそれらを並べたじいやさんが、向かいに腰を下ろしたのだ。
煎茶を一口飲んで驚く私に目を細めると
「さあ、柊さまも」
そう言ってまた笑った。一緒に食べましょう?と……。
【ゆん】
衝撃だった。
食事の席などは今まで幾度かあった。けれど、この老執事が席についたことなど私が記憶する限り一度としてない。
いつでも、室内を見渡せる位置に佇み、団欒する私たちを見守っていたのだ。いつでも控え目に、気を配っているばかりだった。
そんなじいやさんが、今、私の向かいにいる。
彼の手には温かそうな湯気の立つ湯飲み。驚くばかりの私へ、じいやさんは微笑を重ね「さあ」と再び促す。
戸惑いながらも湯飲みを手に取った。それでいいと言いたげにじいやさんが深く頷く。勧められたマドレェヌを口に含めば、甘い甘いバタァの味が口内いっぱいに拡がる。
茶を啜る音、衣擦れの音、窓の外からは小鳥の囀り。
たったの三音しかない室内はどこまでも静かで、静かすぎて、息が詰まりそうだった。
それなのに息苦しくないのは何故だろう。湯島の家や大学にいる時より遥かに呼吸がしやすい。
【珪架】
静と動を別けたような兄弟も、大柄なのに静かな気配のあの人も、
寂しさを閉じ込めた強い瞳で咲くように微笑んだ人も、
優しさ故に弱さに悩み苦悩したあの方さえも……
意識しなければ分からないほど微かに、何かが動いた。
忘れようなんて思わない、これからも絶対に。過去にもしない、此処にいる限り。
けれども目の前のこの人は、逃げることはしないのだから。
賽は投げられた。
原稿がまったく進まなくなった時スカイプでそれを叫んだところ、珪ちゃんがリハビリに付き合ってくれて突如始まったじいや×京一郎・通称じい京。
じいやブームな珪ちゃんはさすがのじい愛というかなんというか…これたぶん続きます(笑)