イプ中の産物その5:千京ちゃんとこねこ


梅雨入りして暫く。
じめじめとした日々が続き、此方の気まで滅入ってしまっていた。

そんなある日。

「――京一郎」
「はい?」

背後から呼び止められ足を止める。
振り返ると、私より半歩前を歩いていたはずの千家の足が三歩後ろで停止していた。
止まない雨が彼の持つ黒傘をしとしとと濡らしている。
表情は黒で半分隠れてしまい、よく見えない。

「伊織? どうしたんです。早く戻りたいと駄々をこねたのは貴方でしょう?」
「…………」

問い掛けても答えはない。
不思議に思い、動かない彼のほうへ歩み寄ってみた。
元より距離など大して無い。二度目に右足を踏み出した時には、 手が届く範囲に佇む千家を捉えていた。
そうして漸く、彼が立ち止まった原因を知る。

「……仔猫?」

千家の足元――民家の壁沿いに、小さな段ボォルが置かれていた。
濡れそぼり、今にも崩れそうなその箱の中に、此方を見上げ儚く救援を求める仔猫がいた。
元の毛色は白なのだろう。けれど雨のせいか、はたまた砂埃のせいか、今は灰色にしか見えない。
泣いているような青い瞳がなんとも言えず、対応を尋ねようと隣を窺う……と。

「……伊織?」
「…………」

私を一度呼び止めたきり声を発しない少将閣下は、私には目もくれず、一心に足元を……小さな仔猫を見つめている。

「……あの……伊織?」
「…………」
「猫……お好き、なんですか……?」
「…………」

この声は本当に届いているのだろうか――。
一瞬不安ともつかない微妙な気持ちが湧き上がったけれど、なんとか飲み込み、猫しか入っていないだろう眼の前で掌を振る。

「……。……なんだ、京一郎」
「やっぱり聞こえていませんでしたね? 猫、お好きなんですか」
「……そう見えるのならばそうなのかもしれんな」
「どうして貴方は何事においても「好き」の一言が言えないんです?」
「そうなのかもしれん、と言っただけだ。好いているとは言っていない」

この屁理屈野郎。
込み上げた言葉を寸での所で嚥下し、ひくつく口元をなんとか抑えた。
一気に微妙な空気となった私達の足元では、未だ仔猫のか細い声が響いている。
漸く私の存在を思い出したというのに、その声につられたのか、千家の意識はまたも足元へと注がれてしまった。

「伊織?」
「…………」
「あの……」
「…………」
「戻らないんですか? 雨は嫌いと不機嫌になったのは貴方でしょうに……」
「…………」

声はやはり返らず、千家の視線もまた、上がっては来ない。

(これは、もしや……)

ひとつ過ぎった予想を、すぐさま脳内で打ち消す。
まさか。千家に限って、そのようなことは――いや、だけど、この様子を見るからには……。

暫く自問自答を繰り返し、意を決して、静かな横顔をおそるおそる覗き込む。

「……連れて帰りますか……?」
「……。…………なんだと」
「!? え、あ、いえ。言ってみただけです。お気になさらず。早く戻りま……」

しまった、外れた。
間髪入れず撤回の言葉を口走ったけれど、

「お前がどうしてもと言うならば仕方あるまい。世話はお前がしろ。私の手を煩わせないことを条件に飼育を許してやる。 ……どうした京一郎。早く捕えろ。逃げてしまっては元も子もないだろう」
「言いたいことは富士の山ほど沢山ありますがなんかもういいです」




千家様が猫を拾ったらみたいな話をしている最中の産物。なんで千家様はすぐギャグ要員になるんだろう……