no name
――ねえ、マイケル。君は今、ちゃんと、笑えてる?
僕にはたった一つだけ、どうしても叶えたい願いがあった。
「――そう思うだろ? ガビィ。ぼくはぜったい間違ってなんかないんだ」
(そうだね。でもマイケル、きっと彼らも間違ってはいなかったと思うよ)
頬を膨らませる彼≠ヨ返事をしたけれど、きっとその声は届かなかったんだろう。
僕の同意を得たと笑う彼≠ヘ膨れっ面を笑顔に変え、鏡越しに僕≠ノ触れる。僕を大好きだと鏡に頬擦りをして、ずっと一緒だと小さなその手を合わせる。
――僕の願いは、たった一つだけだった。
「ガビィだけはずっとぼくの味方でいてね。僕もずっとガビィの味方だから」
たった一つだけ。それさえ叶えば、僕はもう何もいらないと心から思えるほど、大切な願いだった。
「ガビィ。ずっと一緒だよ、ガビィ」
(うん。ずっと一緒だよ、マイケル)
この声を、届けたかった。
僕自身である君に、触れたかった。冷たい壁に阻まれない世界で君に触れて、眠れない夜はずっとお喋りをして。
君と同じ世界を生きたかった。
ただ、それだけだった。
▽
「――ガビィ! ガビィ、何処に……っ、なんで……」
悲痛な声が無人の廊下に虚しく響く。行き止まりを前に立ち尽くすマイケルの声は痛々しくて、両手があるならばいっそ耳を塞いでしまいたかった。
マイケルが真実を思い出したのは昨日のことだった。
あやふやな存在の僕の姿は、もうマイケルの目には映らない。僕はこんなに彼を近くに感じるけれど。こんなに、痛む心が伝わってくるけれど。だけどマイケルには僕を感じることは出来ない。
――寂しい。
けどこの感覚は知っている。憶えている。
(あの頃と一緒だな……)
茫然と絶望を見つめる横顔、途方に暮れる背中。真っ白になっていくその心に寄り添いながら、少しだけ自分を嗤った。
僕は何一つ成長出来ていない。奇跡の時間を終えた今でも願ってしまうことは、昔から抱き続けてきたことのみ。
欲深さに自嘲したくなる。だけどそうしたところで願いも望みも棄てられないと解っているから、結局笑うしかない。
どう足掻いても僕の大切≠ヘ、昔から、ひとつだけ――。
歯を食い縛ったマイケルは、何もない壁や誰もいない階段の踊り場、静かな廊下を何度も何度も見回す。
どんどん泣きそうに歪んでいく表情に胸が苦しくなった。何度も、何度も。物音さえしない静寂の中、マイケルの切羽詰まった吐息だけが落ちて、消えていく。
やがて細く息を吐き出した彼は、壁伝いにずるずるとしゃがみ込んでしまった。片膝と額を抱え、絞り出すように呟く。
「……ガビィ……」
(なあに、マイケル)
寄り添って。肩に触れて。
「ガビィ……、ガビィ……」
(ここにいるよ。大丈夫、いつでも傍にって言ったじゃないか)
濡れた声が切なくて、握り締められた拳にそっと手を重ねて。
「傍に……いるって、言ったのに……」
(いるよ。ここにいるよ――……)
小さく丸められた背中を抱きしめた。小刻みに震える肩が痛くて、痛くて、僕まで息が詰まる。
声が届かないことを悔やむのはいつ振りだろう。
せめて濡れてしまった頬が乾くまで、誰も来ないでほしい。
君の弱音はぜんぶ、僕が掬うから。僕が持っていくから。
だからどうか、せめて、今だけは。
「ガビィ……っ」
君が僕だけを想って感情を揺らしてくれている、今だけは。
奇跡なんてそうそう起こることじゃない。
だけど僕は今、二度目の奇跡に遭遇している。
マイケルの目には僕しか映っていなくて。僕の目にもマイケルしか映っていなくて。此処には僕らしかいなくて。
泣きながら、何度も何度も、何度でも、掠れた声でマイケルが僕を呼んでくれて。
もう何もいらない。そう強く思った。
「ガビィ、ガ……、ビィ……ッ」
痙攣する太腿を撫でてあげると、全身を強張らせた後ぐにゃりと弛緩する。涙をたっぷり浮かべた目で僕を見上げて、
大好きだと何度も呻く。汗ばんだ肌に触れるたび、枕に散らばったお揃いの金髪が布を滑る。
手も足も声も、身体のどこにも震えていない箇所なんて無いのに。不安だってあるはずなのに。
だって僕は、こんなにもこわい。
「マイケル、大丈夫だよ。マイケルが怖がることなんてしないから」
「……っ、ぁ、ガビィ……ッ、……っ」
首にしがみつくマイケルの肩へできるだけ優しく口付けて、濡れそぼる性器から手を離した。
怯えさせないよう慎重に指を下降させ、きつく閉じた孔に触れる。たったそれだけでマイケルは身体を硬直させて息を飲んだ。
しがみつく両腕の震えは気の毒なほどで、かたく食い縛った唇は今にも切れてしまいそうだった。
見ていられなくて、巻き込まれた下唇を舌先でつついた。後ろに触れた時と同じくらいビクッと震えはしたけれど、
啄んでいるうちに次第に腕の力は抜けていく。肩の震えもいくらか落ち着いて、マイケルが舌を差し出して漸く僕もホッと胸を撫で下ろすことができた。
大丈夫。こわくない。大丈夫。
飽きるほど同じ言葉を繰り返しながら、抱きしめて、目端の涙を舐め取る。
もうこのままでもいいかもしれない。全部全部僕のものにしたい――両極端な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
静かで懐かしい部屋の中。ベッドが鳴く。虫の声より小さな時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
ふたりぶんの息遣い。布が擦れる音。細い金糸がきらきらと月を反射する。
濡れた目蓋にキスをして、頬擦りをした。同じ体温は簡単に溶けて、哀しいくらい愛しくなった。
「マイケル――……」
「……ッ」
耳朶を甘噛みしながら指を進める。腕の中の身体には瞬時に緊張が舞い戻ってしまったけれど、ごめんと囁きながら関節を埋めていった。
結局僕は、欲深いまま。
何もいらないって、確かに思ったのに。それは嘘じゃないのに。それなのに、マイケルのこわさも不安も尊厳も全部踏み越えて、僕は僕の欲を取るんだ。
何かを残したかった。
僕を取り戻した後も僕がいたことをいつでも思い出してもらえるように。縋らず、囚われず、だけど忘れられないように。
(ごめんね、マイケル。だいすきだよ……)
指先で書いた文字をどれだけ増やしても足りないくらいに。
伝えられる口も声も言葉も今は持っているのに、何故か音には乗せられなかった。
振り切るように指を引き抜き、僅かに撓んだそこへ身を沈めていく。傷付けちゃうかも。
まだ早かったかも……とこわくなったのは一瞬で、狭いはずの裡は不自然なほど柔らかく拡がりすべて受け入れてくれた。
「……っ」
泣きそうになった。
この不自然さも、気持ちよさも、言い様の無い一体感も、すべてが僕≠否定している気がした。
僕のすべてはマイケルのものだから。
霞より儚くて脆い存在。きっとこの心臓は動いていないレプリカのようなもので、肌を傷つけても血なんて出なくて。
お揃いと感じた体温も本当はマイケルだけのもので。僕自身のものなんて何一つなくて。今、泣きそうなくらい気持ちいいのも、僕がマイケルだからで――。
「っ、ガビィ……、……」
どうしようもない思考に雁字搦めになりかけた時、両頬をそっと包まれた。微かに震える親指に唇をなぞられ、加減もせずきつく噛んでいたことを知る。
「……、噛みすぎだ」
閉じ込めた腕の中で、マイケルがふわりと笑う。
泣きながら、苦しげに眉を寄せて。だけど見たこともないくらいしあわせそうに、笑った。
「――……」
じゅうぶんだ、って。
頭を占めていた暗い感情が、溶けて、消えていった。
嘘みたいにやさしい顔をするマイケルの、嘘みたいにやさしい手が、嘘みたいに丁寧に僕に触れて。嘘みたいに、きれいに笑う。その眼に、僕だけを映して。
「……へへ」
泣きそうだ。けど、笑ってしまった。つられてマイケルも笑う。額をくっつけ合って、幼い子供みたいに笑った。
――僕自身のものが何一つなくてもいい。
だって僕は君で。君は僕で。だけど僕は僕で、君は君で。
何かを残す必要なんてない。なかったんだ。だって僕はきっと、君の中で世界を見続ける。
「……、マイケル」
還るよ。返すよ。きみに、ぜんぶ。
「大好きだよ」
飲み込んだはずの言葉が自然と唇から零れた。少しの隙間も許せなくてきつく抱きしめた。
ひとつのいきものみたいになった僕らはふたりして息を詰めて、微妙に噛み合わない弾んだ呼吸をお互いの唇へ吸い込ませる。
僕を飲み込むごとにマイケルは高く喘いだ。繋がった箇所から溶け合っていく感覚は言葉になんてできないくらい激しくて、やさしい。
「あっ、っ、ガビィ、……ッ、ガビィ……っ」
「……っ」
大好きだよ。
大好きだよ。
いつだって、きみがたいせつだよ。
「マイケル――」
伝わるように、キスをした。もう指先の感覚も殆ど残っていない。触れているはずの唇だって、本当に触れているのかわからないほど感覚が淡い。
それでも僕らは触れていた。
きみに、ぼくに。
きおくに、こころに。
マイケル。
僕にはたった一つだけ、どうしても叶えたい願いがあった。
たった一つだけ。それさえ叶えば、僕はもう何もいらないと心から思えるほど、大切な願いだった。
この声を、届けたかった。
君と同じ世界を生きたかった。
どうしても君に伝えたいことがあった。
『ガビィ。ずっと一緒だよ、ガビィ』
声が届かなくても。触れることができなくても。会えなくても。隣を歩むことができなくても。
僕はいつだって、君の傍にいるから。
だいぶ捏造の初ガビマイ。乙樹氏にカルマキくれ!とねだったところガビマイくれよ^^と交渉成立し、捧げものとして書いてみたら日記みたいになっちゃったやつです。
双子尊い……神学校は最近プレイしたばかりなのですが、見事ガビマイで沼に嵌まりました。布教してくれてありがとうね乙樹さん……(泣いてる)